« 2008年5月 | トップページ | 2009年6月 »

2008年6月

2008年6月22日 (日)

美味しい炒飯とは?

“華史記”執筆者の斥奉です。

最近、炒飯を食べていて、ふと思うことがあります。

「美味しい炒飯(評価の方法)って何だろう…?」

人一倍、炒飯を食してきただけに、“炒評”を掲載しているだけに、この悩みは深いです。

私が言うのも変ですが、炒飯といえば外食して食べるというよりは家にある材料を使って作る家庭料理だと思っています。

その炒飯を評価する際によく言われるのは、

1、お米がパラパラしている。

2、お米を卵が包み込んで光っている。

3、斬新さ?

などだと思います。

実際に、私が中国料理店で炒飯を食べて評価するとき、こういった要素も気にはするのですが…

それ以上に、具材に囚われない火力や盛り付け方から伝わってくる料理人の思いが特に気になります。

話がまとまっていないのですが、炒飯を評価していく上では、こういった要素こそ大切なんじゃないかと…

こんな考えで“炒評”を掲載していていいのか分かりませんが、もし一人でも参考にして頂いている方がいましたら、私のこんな考えを気に留めて頂ければと思います。

“華史記”へ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月 8日 (日)

『関口知宏の中国鉄道大紀行』(2)

“華史記”執筆者の斥奉です。

僕が感じた中国、それは在るがままの姿。

とても単純なことですが、中国は飾らず隠さず全てを見せ感じさせてくれるということです。

1つ間違えて欲しくないのは、良いとか悪いとか、そういったことではないのです。

中国には、在るがままの姿が今なお存在する、それだけなのです。

『関口知宏の中国鉄道大紀行』には、こういった僕の感じた中国が昇華された姿で凝縮されていました。

もし、在るがままの姿を感じたい方がいましたら、『関口知宏の中国鉄道大紀行』、そして中国はきっと何かを与えてくれるはず。

最後に、大事業を通して伝えてくれた『関口知宏の中国鉄道大紀行』の関係者には感謝の気持ちをお伝えしたいです。

“華史記”へ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年6月 1日 (日)

『関口知宏の中国鉄道大紀行』(1)

“華史記”執筆者の斥奉です。

いま、『関口知宏の中国鉄道大紀行』の書籍を読んでいます。

本来なら、“華史記”で取り上げる類の書籍ではないのですが、中国史小説の“書評”をしている上に中国旅行(一人旅)の経験がある私として、どうしても言いたいことがあったので。

最初、私は中国に対する関口知宏という存在を認められないでいました。

なぜなら、

1、中国との接点がない。

2、大事業に対しての姿勢に疑問(日本にいては感じることのできない中国を伝えることができるのか)。

…などなど、挙げればキリの無いほど悪い印象を持っていたからです。

ですが、私が間違えていました。

テレビ放映を見てもそう感じてはいたのですが、書籍を読んで尚更そう感じました。

彼の伝える中国は、少なくとも私の感じた中国と限りなく近いと思います。

むしろ、それ以上に教わることが多いのが正直なところです。

…続きは、次回へ。

“華史記”へ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年5月 | トップページ | 2009年6月 »