文化・芸術

2009年12月 6日 (日)

中国史最新情報(14)

移動禁止文化財、2万件以上が消失(Record China)

<内容>

2009年11月30日、中国国家文物局の単●翔(シャン・ジーシアン、●は「雨」の下に「齊」)局長は「全国文化財調査で、移動を禁止している文化財のうち約2万3600件が消失していることが判明した」と発表した。

北京晨報が伝えた。

中国の歴史・文化遺産保護の重要な措置として、現在中国全土で「第3回全国文化財調査」が実施されている。

国家および地方財政で総額10億4300万元(約131億8200万元)を投じて行われた10月末までの調査結果では、登録済みの移動禁止文化財77万6200件のうち、2万3600件余りが消失していることが判明した。

消失した文化財について、単局長は「原因はうやむやにせず、調査で明らかにしていく。

人的な原因によるものであれば、相応の措置を採りたい」と語った。

一方、盗難や盗掘など文化財に関連する犯罪に関しては、全国で毎年平均2000件余りが解決されており、同局では今後も公安部などと協力し、犯罪の撲滅に尽力していくとしている。

また、国民に対する歴史文化財・文化知識普及政策の一環として中国政府が展開している博物館の無料開放政策に関して、単局長は「08年に無料開放した博物館の入場者総数は1億5400万人以上となり、無料化前と比較すると各館平均して60~70%増となっている」と語った。

単局長によると、今年7月までに全国で1450カ所の博物館・記念館が無料開放されており、このうち400カ所以上が今年の上半期に無料解放されたものだという。

<感想>

“華史記”執筆者の斥奉です。

管理されているはずの文化財が消失している事実、これは根本的な問題を理解した上で解決していかなければならないと思います。

文化財の持つ意義を再認識し、周知徹底させることこそ肝要ではないでしょうか。

そのための努力は将来に多大な効果をもたらすはず。

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2009年11月29日 (日)

中国史最新情報(13)

文字博物館オープン-甲骨文字出土の安陽市(Searchina)

<内容>

中国で文字をテーマとする初めての国家級博物館である「中国文字博物館」が11月16日、甲骨文字が大量に出土したことで知られる河南省安陽市で開館した。

11月16日付で華僑向け通信社の中国新聞社が伝えた。
 
「中国文字博物館」には4123点の文物などが展示されており、うち1級文物は305点。

展示物は甲骨文や金文に加えて漢字の発展史や書道史に関するものなど多方面に渡る。

<感想>

“華史記”執筆者の斥奉です。

これは日本人としても非常に存在意義の高い博物館といえるのではないでしょうか。

現代において意外と見落とされがちな文字文化を伝える施設として、今後の継続や発展、そして日本と中国を結ぶ交流の場として期待したいです。

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2009年11月 3日 (火)

中国史最新情報(12)

破壊進む万里の長城=鉱山会社、採掘のためなら長城切り崩しも平気(Record China)

<内容>

2009年10月31日、中国青年報によると、内モンゴル自治区で「万里の長城」の破壊が進んでいる。

地元の約90%の人が同自治区内の万里の長城の存在を知らないことも原因のひとつだという。

内モンゴル長城資源調査チームによると、今回深刻な破壊が見つかったのは、フフホト市北部にあり、全国文物保護施設に指定されている「秦漢長城」。

秦漢長城は秦の始皇帝が修復したとされており、保存状態もよく、万里の長城の中でも最も古い部分の1つに数えられている。

破壊の原因は、ある企業の鉱物採掘によるもので、同市文物管理局はこの企業に対してすでに5回におよぶ採掘停止命令を出している。

しかし、管理員が現場を離れると採掘をすぐに再開するなど、すでに50m近くが完全に破壊されており、状況は一向に改善されていない。

同自治区内で万里の長城が破壊されたのは今回だけにとどまらず、過去にも何度も発生している。

1999年には道路建設のため2300年の歴史を誇る趙長城の一部が取り壊され、2006年にも道路建設のため約20mが破壊された。

同じく06年にはマンション建設のため98mにわたって破壊されるなど、全国の各時代の万里の長城のうち約30%が存在する同自治区での保存・保護状態は極めて深刻な状況になっている。

内モンゴル長城文化研究センターの李永生主任は、その原因として「住民の保護意識の低さ」を挙げる。

同センターが07年9月に行った住民1万人以上に対するアンケート調査によると、約90%の回答者が「同自治区内に万里の長城があることを知らない」と答えたという。

また、存在を知っている人々の中にも「同自治区にある万里の長城は、壁の高さが低く、古くて壊れており、保護や利用価値が無い」と誤解している人が多く、李主任は「住民に対する告知不足が最大の問題」と指摘している。

<感想>

“華史記”執筆者の斥奉です。

この問題を1つの視点から考えるのは避けなければならないと思います。

何よりも大切なのは、今を生きる人々の生活。

でも、対処できることであるならば、その対処方法を早急に見出さなければならない問題だと思います。

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2009年10月16日 (金)

中国史最新情報(11)

清の皇帝愛用の「玉座」が競売に、中国家具類では最高額で落札(CNN)

<内容>

競売大手サザビーズは8日、香港で催された競売に中国の清時代の乾隆帝皇帝が愛用していたとされるいすの「玉座」を出品、約1100万米ドル(約9億6800万円)で落札されたと発表した。

中国の家具類の落札額としては史上最高。

入札は開始からの10分で36件が集まる盛況だったという。

中国本土、香港や台湾からの客の申し込みが多かったとみられる。

落札したのは上海の実業家。

落札額は当初予想より約3倍の水準だった。

サザビーズによると、出品された玉座は同皇帝が日常の執務や外国使節を迎え入れる時に使ったもの。

権力者の象徴とされ、皇帝以外の使用は禁じられていたという。

竜の模様が刻まれたいすの長さは約1.4メートルで、紫檀製。

いすの背面などには5つの竜が刻まれ、長寿、富、健康、美徳、安らかな死去をそれぞれ示しているという。

<感想>

“華史記”執筆者の斥奉です。

以前、北京へ行った際にこの種の椅子に座って写真を撮ったことがあるのですが、本当に不釣り合いでした。

そして、妙な緊張感を感じたことを今でも覚えています。

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2009年10月14日 (水)

中国史最新情報(10)

万里の長城の東端は「山海関」ではなく「虎山長城」(Searchina)

<内容>

遼寧省丹東市寛甸満族自治県虎山鎮虎山村にある虎山長城では25日、万里の長城の東端を示す表示碑の除幕式が行われた。

中国新聞社が伝えた。

これまで、万里の長城の東端は河北省の山海関とされていた。

中国政府で文化財などを管理する国家文物局と、国土地理院に相当する国家測絵局が共同で行った調査によると、明代の万里の長城は東端は遼寧省虎山長城で、西端は甘粛省嘉峪関。

総延長は8851.8キロメートルで、これまで言われていた6350キロメートルより約2500キロメートル長かった。

明代の長城は、遼寧省・河北省・天津市・北京市・山西省・内モンゴル自治区・陝西省・寧夏回族自治区・甘粛省・青海省の10省(中央直轄市・民族自治区)にまたがっている。

<感想>

“華史記”執筆者の斥奉です。

このことに関しては、妙に細かさを感じてしまうのですが、安易な認識が罷り通ってしまうよりは間違いなく良いので、そのスケール感をしっかりと受け止めたいです。

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2009年10月11日 (日)

中国史最新情報(9)

孔子の子孫は200万人…家系図の大改訂で女性含め認定(Searchina)

<内容>

中広網は24日、孔子(紀元前551-479年)の家系図『孔子世家譜』の大改訂が同日午前に完成したと伝えた。

『孔子世家譜』は明代(1368-1644年)に、「30年に1度の小改訂、60年に1度の大改訂を実施」と定められたが、実際に大改訂が行われたのは明代の天啓年間(1621-1627年)、清代の康熙年間(1662-1722年)、乾隆年間(1736-1795年)、さらに中華民国期の1930年代の4回だけだった。

今回の大改訂は5回目で、中華人民共和国成立後では、初めて。

膨大な作業量で、完成までに十数年を要したという。

これまでの『孔子世家譜』に記載されている氏名は約60万人だったが、今回の大改訂では大幅に増え、200万人になった。

以前は記載されなかった女性や、過去の婚姻などにより少数民族に分類された子孫、さらに海外在住者4万人も初めて加えられたことが理由という。

<感想>

“華史記”執筆者の斥奉です。

これこそ悠久の歴史を感じさせる話題といえるのではないでしょうか。

子孫として、祖先との繋がりを感じられることは意義深いと思います。

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2009年8月29日 (土)

中国史最新情報(8)

「孫文の右腕」陳其美 中国に記念館 出身の湖州市(産経新聞)

<内容>

■反逆者一転、観光資源へ…中台改善を象徴

1911年に始まった辛亥革命で孫文の右腕となり清朝を倒し、共和制の「中華民国」成立に導いた陳其美(1878~1916年)の記念館を、陳其美の出身地である中国浙江省の湖州市が主体となって開設し、近く一般公開することが25日、明らかになった。

国共内戦に敗れ台湾に逃れた国民党政権の中華民国で“革命烈士”とされた歴史上の人物が、共産党政権下の「中華人民共和国」で改めてクローズアップされるのは異例。

中台関係の変化を象徴する動きといえそうだ。

≪通りに名前、大学も≫

湖州市内に埋葬された陳其美の墓は文化大革命時、紅衛兵らに“反逆者”扱いを受け破壊されたが、市当局によって再建された。

25日には中台関係者が墓前で慰霊祭を行った。

“陳其美復活”には、台湾に昨年、中国国民党政権が誕生し中台関係が好転したことが大きく影響している。

地元では陳其美を「名士」として再評価し、歴史を観光資源としてアピールしようとしている。

市はメーンストリートのひとつを「其美路」と命名したほか、49年の新中国成立以前に市内にあった陳其美の字「英士」を冠した「国立英士大学」を復活させる動きも民間で盛り上がっている。

記念館は延べ床面積約2000平方メートルの2階建ての生家を市が独自の予算で修復し、遺品のほかに写真やパネルなどを展示し、陳其美の生涯や辛亥革命の歴史、当時の陳家の様子を伝える。

記念館正面に飾られた「陳英士故居」の文字は、国民党の連戦名誉主席が揮毫した。

≪国民党重鎮でも評価≫

陳其美は、浙江省呉興県(現在の湖州市呉興区)の商家に生まれた。

1906年に日本に留学し、孫文が東京で組織した政治結社「同盟会」に参加。やはり浙江省出身の蒋介石(台湾元総統)ともその後、義兄弟の契りを結んでいる。

帰国後、上海を拠点に同盟会の活動や革命派の新聞発行に奔走した。

辛亥革命では上海で蜂起し南京を占領して孫文を迎え入れ、南京を首都とする中華民国を成立させる功労者となった。

しかし、孫文の後継として12年に中華民国の臨時大統領、翌年に初代大統領となった袁世凱の側近が放ったとされる刺客に陳其美は16年、上海で暗殺された。

38歳の若さだった。

死を悼んだ孫文らが国葬を行い、湖州に埋葬した。

国民党政権の特務機関として中共軍にも恐れられていた「CC団」のトップだった陳果夫、陳立夫兄弟は陳其美のおいにあたる。

陳其美の直系の孫で台湾有力紙、聯合報元駐日特派員の陳沢禎氏は、「共産党政権が、民族の歴史に貢献した人物であれば国民党の重鎮であっても高く評価する意識を持ち始めた。

歴史的に前政権を否定し続けてきた中国人の悪癖を乗り越えようとする姿勢の表れだ」と話し、中国による近代中国史の再評価が中台の関係改善にもつながるとの考えを示している。

<感想>

“華史記”執筆者の斥奉です。

正に、歴史のうねりを実感することのできる出来事なのではないでしょうか。

良くも悪くも、一時的な気運に流されず、正しい史実が後世に伝えられることを期待したいです。

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2009年8月17日 (月)

中国史最新情報(7)

政治に翻弄される文化財 中台2つの故宮博物院、初の合同展示(産経新聞)

<内容>

中国歴代皇帝の文物や芸術品などを所蔵する北京と台北の2つの故宮博物院が、中台分断後初めての共同展を10月7日から台北で開催することが決定した。

中国各メディアが14日に伝えた。

今回の共同展は、昨年5月の馬英九政権誕生以後の両岸関係改善を象徴する一方、中華文化を台湾で強調し、文化面で中台一体を推し進めようとする中国側の思惑も見え隠れする。

清朝初期の皇帝「雍正帝展」と題される今回の共同展には、雍正帝の書物、硯などのほか、当時の美術品、書道、絵画作品など計246組が展示され、そのうち37組が北京の故宮が提供したものだという。

台北の故宮で2010年1月10日まで開かれる。期間中に開かれる清朝文化などに関するシンポジウムには両岸の考古学者らが多数出席する。

1925年に創設された故宮博物院は、明、清の皇帝の宮殿だった紫禁城の中にあり、もともとひとつしかなかったが、国民党と共産党の内戦で劣勢となった国民党の蒋介石政府は48年末から49年にかけて、故宮の中から約3000箱の文物を船などで台湾に運び、台北市内にもうひとつの故宮博物院を建設した。

戦乱の中で、莫大なコストをかけて大量の文物を台湾に運んだのは、中国の歴代の皇帝の収蔵品を押さえることで、中華民国政府の正統性を示したい蒋氏の政治的な思惑があったと指摘される。

現在、北京の故宮には150万点の所蔵品があるのに対し、台北は65万点しかないが、晋の書家、王義之の「快雪時春帖」など多くの国宝級の文化財が台北の故宮に収蔵されており、2つの故宮はいずれも外国の観光客の間で高い人気を誇っている。

2つの故宮の交流、共同展を開くことに関しては、中国側はずっと積極的だった。

中国紙、南方週末などによると、北京の故宮は、両岸の政治・経済関係が停滞していた88年から台湾側に、清の乾隆帝の文物を無料で貸し出し台湾で展示会を開きたいと打診していた。

文化を通じて両岸直接交流の突破口にしようと目論んだためだが、当時の李登輝政権から回答を得られなかったという。

その後、台湾で独立の機運が高まり、中国色を払拭したい一部の民進党の立法委員(国会議員)が90年5月に、「故宮の文物を中国に返す」ことを提案し、大きな話題となったこともある。

10月に訪台し共同展の開幕式にも出席する予定の北京故宮博物院の鄭欣●(森の木が「水」)院長は「今回の共同展は雍正帝時代の貴重文化財が再び一緒に集まるだけではなく、両岸の民衆が中華文化を広げるという共同の歴史使命を担っていることの証明でもある」との談話を発表、文化面で台湾を取り込みたいとの思惑をにじませた。

<感想>

“華史記”執筆者の斥奉です。

中国の国宝級の文化財が台湾に数多くある事実、そして歴史的な背景が一定の解決をみない限りは、これらの文化財が危機に晒されていると理解しなければならないのではないでしょうか。

両者のみならず、人類にとっても貴重な文化財だけに、今後の展開に注視したいです。

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2009年8月 8日 (土)

中国史最新情報(6)

登場17年、中国で愛され続ける酒井法子(Searchina)

<内容>

今週発生した2件の違法薬物所持事件、そしてそれに関連するタレント・酒井法子の失踪騒動が中国でも注目を集めた。

5日更新の中国大手検索サイト百度(Baidu)の「検索ワード急上昇ランキング」に、「酒井法子」「矢田亜希子」「押尾学」「高相佑一」がそれぞれ登場した。

容疑者とそれぞれの妻計4名の名前がすべてランクインを果たし、関連ニュースもメディアによって多数報じられているが、やはり中でも中国で圧倒的人気を誇る酒井法子に関するニュースやユーザーのコメントの多さは群を抜いている。

ニュース記事では、携帯電話の電波が山梨県内で途絶えたこと、日本国内でさまざまな憶測が生まれていること、彼女が中国をはじめとするアジア全土で愛されていたこと、かつて酒井とデュエット曲「有縁千里」を発表し、交友関係の有る香港の歌手、孫耀威(エリック・ソン)が安否を気遣っていることなどが報じられている。

百度の「酒井法子掲示板」には、行方不明の情報が流れた4日以降すでに500件に及ぶテーマがほぼ分単位で書き込まれ、その内容のほとんどは「無事を祈る」「進展はないのか」と酒井の安否を気遣うものであるほか、以前の画像や中国本土で流れた酒井出演のコマーシャルなどが多数貼り付けられるなどしているが、一部で「熊本県で発見された」といったようなニセの情報が流れたり、ファンや酒井を冒涜するようなコメントも書き込まれたりするなど、混乱している様子が伺える。

また、逮捕された夫の高相容疑者に対する罵詈雑言も多数見られた。

酒井は1992年に台湾で日本人初となるワンマンショーを行い、1993年には台湾ドラマ「我愛美人魚」で主役を演じるなど中華圏に進出、ヒット曲「夢冒険」の中国語版など中国語曲を積極的に行った。

さらに93~97年出演した日本のドラマ「ひとつ屋根の下」「星の金貨」が中華圏でも大ヒットして人気がさらに加速した。

98年に香港で3日間のコンサートを行った後、活動を休止していたが、2007年には「日中文化・スポーツ交流年」の日本側の親善大使としてレセプションに参加したほか、人民大会堂でコンサートも行っている。

当時の若者層を中心に、登場から約20年が経過してもなお現在でも根強い人気がある。

<感想>

“華史記”執筆者の斥奉です。

この内容を取り上げることは少し視点から反れていると思われるかもしれませんが、酒井法子さんと中国の関係が意外と正確に伝わっていない感じがしたので、あえて取り上げてみました。

個人的に、中国のCD売場で酒井法子さんの商品を見かけたことがあり、その人気を実感していました。

それだけに、両国で変な誤解ばかりが先行してしまうのは残念です。

今は、真実が語られるのを見守りたいです。

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2009年7月26日 (日)

中国史最新情報(5)

発展の為に胡同や文化保存は不要?(Searchina)

<内容>

2009年7月22日付新京報によれば、北京の四合院、胡同など伝統的建設物が次々に解体されていることに関する危惧が高まっていると伝えた。

経済発展に伴う大規模開発の流れで多くの北京の胡同が解体されてきた。

2005年には「北京市城市総体計画」が制定され、旧市内の効能を保存し、経済発展を目標とした偏りのある開発を防止することとしており、以前ほどの大量解体はなくなってきているが、それでも文化保護地区と指定されていない場所では胡同の解体が続いているのが現状である。

北京古都風貌保護と危険建築に関する専門チームは、「文化保護に指定されていなければ解体開発してもいい」というのは大きな間違いであると警告している。

これを受け、中国大手サイト新浪網では「著名人の旧家等文化保護指定を受けていない四合院も保護すべきか?」とのタイトルでインターネットアンケートが実施されている。

09年7月23日現地時間15:00現在、投票数は1547票。

80.5%が「保護すべき」と答え、14.6%は「保護の必要なし。

故宮等重要な建築物だけで充分」との結果となり、保護すべき派が圧倒的であった。

また、「無関心」は4.9%であった。

賛成派からは「普通の胡同こそが文化を伝えるものであり、保護の対象となるべき」、「お金のために手当たり次第に解体するのは良くない」、「数年後、発展が一段落し、人々が昔の伝統に目を向けたとき初めて後悔することになるだろう」との意見があり、反対派からは「近代化、発展のためには解体が必須である」、「昔の建物など、発展に邪魔なだけだ」、「北京の土地が値上がりを続け住宅不足が深刻である。

解体してマンションでも建設するべきだ」との意見が見られた。

<感想>

“華史記”執筆者の斥奉です。

この内容には複雑な思いです。

残す残さないという判断には一長一短があると思いますが、もっと根本的なところで最適な判断をして欲しいと、ただ願うばかりです。

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