文化・芸術

2009年11月 3日 (火)

中国史最新情報(12)

破壊進む万里の長城=鉱山会社、採掘のためなら長城切り崩しも平気(Record China)

<内容>

2009年10月31日、中国青年報によると、内モンゴル自治区で「万里の長城」の破壊が進んでいる。

地元の約90%の人が同自治区内の万里の長城の存在を知らないことも原因のひとつだという。

内モンゴル長城資源調査チームによると、今回深刻な破壊が見つかったのは、フフホト市北部にあり、全国文物保護施設に指定されている「秦漢長城」。

秦漢長城は秦の始皇帝が修復したとされており、保存状態もよく、万里の長城の中でも最も古い部分の1つに数えられている。

破壊の原因は、ある企業の鉱物採掘によるもので、同市文物管理局はこの企業に対してすでに5回におよぶ採掘停止命令を出している。

しかし、管理員が現場を離れると採掘をすぐに再開するなど、すでに50m近くが完全に破壊されており、状況は一向に改善されていない。

同自治区内で万里の長城が破壊されたのは今回だけにとどまらず、過去にも何度も発生している。

1999年には道路建設のため2300年の歴史を誇る趙長城の一部が取り壊され、2006年にも道路建設のため約20mが破壊された。

同じく06年にはマンション建設のため98mにわたって破壊されるなど、全国の各時代の万里の長城のうち約30%が存在する同自治区での保存・保護状態は極めて深刻な状況になっている。

内モンゴル長城文化研究センターの李永生主任は、その原因として「住民の保護意識の低さ」を挙げる。

同センターが07年9月に行った住民1万人以上に対するアンケート調査によると、約90%の回答者が「同自治区内に万里の長城があることを知らない」と答えたという。

また、存在を知っている人々の中にも「同自治区にある万里の長城は、壁の高さが低く、古くて壊れており、保護や利用価値が無い」と誤解している人が多く、李主任は「住民に対する告知不足が最大の問題」と指摘している。

<感想>

“華史記”執筆者の斥奉です。

この問題を1つの視点から考えるのは避けなければならないと思います。

何よりも大切なのは、今を生きる人々の生活。

でも、対処できることであるならば、その対処方法を早急に見出さなければならない問題だと思います。

“華史記”へ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年10月16日 (金)

中国史最新情報(11)

清の皇帝愛用の「玉座」が競売に、中国家具類では最高額で落札(CNN)

<内容>

競売大手サザビーズは8日、香港で催された競売に中国の清時代の乾隆帝皇帝が愛用していたとされるいすの「玉座」を出品、約1100万米ドル(約9億6800万円)で落札されたと発表した。

中国の家具類の落札額としては史上最高。

入札は開始からの10分で36件が集まる盛況だったという。

中国本土、香港や台湾からの客の申し込みが多かったとみられる。

落札したのは上海の実業家。

落札額は当初予想より約3倍の水準だった。

サザビーズによると、出品された玉座は同皇帝が日常の執務や外国使節を迎え入れる時に使ったもの。

権力者の象徴とされ、皇帝以外の使用は禁じられていたという。

竜の模様が刻まれたいすの長さは約1.4メートルで、紫檀製。

いすの背面などには5つの竜が刻まれ、長寿、富、健康、美徳、安らかな死去をそれぞれ示しているという。

<感想>

“華史記”執筆者の斥奉です。

以前、北京へ行った際にこの種の椅子に座って写真を撮ったことがあるのですが、本当に不釣り合いでした。

そして、妙な緊張感を感じたことを今でも覚えています。

“華史記”へ。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2009年10月14日 (水)

中国史最新情報(10)

万里の長城の東端は「山海関」ではなく「虎山長城」(Searchina)

<内容>

遼寧省丹東市寛甸満族自治県虎山鎮虎山村にある虎山長城では25日、万里の長城の東端を示す表示碑の除幕式が行われた。

中国新聞社が伝えた。

これまで、万里の長城の東端は河北省の山海関とされていた。

中国政府で文化財などを管理する国家文物局と、国土地理院に相当する国家測絵局が共同で行った調査によると、明代の万里の長城は東端は遼寧省虎山長城で、西端は甘粛省嘉峪関。

総延長は8851.8キロメートルで、これまで言われていた6350キロメートルより約2500キロメートル長かった。

明代の長城は、遼寧省・河北省・天津市・北京市・山西省・内モンゴル自治区・陝西省・寧夏回族自治区・甘粛省・青海省の10省(中央直轄市・民族自治区)にまたがっている。

<感想>

“華史記”執筆者の斥奉です。

このことに関しては、妙に細かさを感じてしまうのですが、安易な認識が罷り通ってしまうよりは間違いなく良いので、そのスケール感をしっかりと受け止めたいです。

“華史記”へ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月11日 (日)

中国史最新情報(9)

孔子の子孫は200万人…家系図の大改訂で女性含め認定(Searchina)

<内容>

中広網は24日、孔子(紀元前551-479年)の家系図『孔子世家譜』の大改訂が同日午前に完成したと伝えた。

『孔子世家譜』は明代(1368-1644年)に、「30年に1度の小改訂、60年に1度の大改訂を実施」と定められたが、実際に大改訂が行われたのは明代の天啓年間(1621-1627年)、清代の康熙年間(1662-1722年)、乾隆年間(1736-1795年)、さらに中華民国期の1930年代の4回だけだった。

今回の大改訂は5回目で、中華人民共和国成立後では、初めて。

膨大な作業量で、完成までに十数年を要したという。

これまでの『孔子世家譜』に記載されている氏名は約60万人だったが、今回の大改訂では大幅に増え、200万人になった。

以前は記載されなかった女性や、過去の婚姻などにより少数民族に分類された子孫、さらに海外在住者4万人も初めて加えられたことが理由という。

<感想>

“華史記”執筆者の斥奉です。

これこそ悠久の歴史を感じさせる話題といえるのではないでしょうか。

子孫として、祖先との繋がりを感じられることは意義深いと思います。

“華史記”へ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月29日 (土)

中国史最新情報(8)

「孫文の右腕」陳其美 中国に記念館 出身の湖州市(産経新聞)

<内容>

■反逆者一転、観光資源へ…中台改善を象徴

1911年に始まった辛亥革命で孫文の右腕となり清朝を倒し、共和制の「中華民国」成立に導いた陳其美(1878~1916年)の記念館を、陳其美の出身地である中国浙江省の湖州市が主体となって開設し、近く一般公開することが25日、明らかになった。

国共内戦に敗れ台湾に逃れた国民党政権の中華民国で“革命烈士”とされた歴史上の人物が、共産党政権下の「中華人民共和国」で改めてクローズアップされるのは異例。

中台関係の変化を象徴する動きといえそうだ。

≪通りに名前、大学も≫

湖州市内に埋葬された陳其美の墓は文化大革命時、紅衛兵らに“反逆者”扱いを受け破壊されたが、市当局によって再建された。

25日には中台関係者が墓前で慰霊祭を行った。

“陳其美復活”には、台湾に昨年、中国国民党政権が誕生し中台関係が好転したことが大きく影響している。

地元では陳其美を「名士」として再評価し、歴史を観光資源としてアピールしようとしている。

市はメーンストリートのひとつを「其美路」と命名したほか、49年の新中国成立以前に市内にあった陳其美の字「英士」を冠した「国立英士大学」を復活させる動きも民間で盛り上がっている。

記念館は延べ床面積約2000平方メートルの2階建ての生家を市が独自の予算で修復し、遺品のほかに写真やパネルなどを展示し、陳其美の生涯や辛亥革命の歴史、当時の陳家の様子を伝える。

記念館正面に飾られた「陳英士故居」の文字は、国民党の連戦名誉主席が揮毫した。

≪国民党重鎮でも評価≫

陳其美は、浙江省呉興県(現在の湖州市呉興区)の商家に生まれた。

1906年に日本に留学し、孫文が東京で組織した政治結社「同盟会」に参加。やはり浙江省出身の蒋介石(台湾元総統)ともその後、義兄弟の契りを結んでいる。

帰国後、上海を拠点に同盟会の活動や革命派の新聞発行に奔走した。

辛亥革命では上海で蜂起し南京を占領して孫文を迎え入れ、南京を首都とする中華民国を成立させる功労者となった。

しかし、孫文の後継として12年に中華民国の臨時大統領、翌年に初代大統領となった袁世凱の側近が放ったとされる刺客に陳其美は16年、上海で暗殺された。

38歳の若さだった。

死を悼んだ孫文らが国葬を行い、湖州に埋葬した。

国民党政権の特務機関として中共軍にも恐れられていた「CC団」のトップだった陳果夫、陳立夫兄弟は陳其美のおいにあたる。

陳其美の直系の孫で台湾有力紙、聯合報元駐日特派員の陳沢禎氏は、「共産党政権が、民族の歴史に貢献した人物であれば国民党の重鎮であっても高く評価する意識を持ち始めた。

歴史的に前政権を否定し続けてきた中国人の悪癖を乗り越えようとする姿勢の表れだ」と話し、中国による近代中国史の再評価が中台の関係改善にもつながるとの考えを示している。

<感想>

“華史記”執筆者の斥奉です。

正に、歴史のうねりを実感することのできる出来事なのではないでしょうか。

良くも悪くも、一時的な気運に流されず、正しい史実が後世に伝えられることを期待したいです。

“華史記”へ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年8月17日 (月)

中国史最新情報(7)

政治に翻弄される文化財 中台2つの故宮博物院、初の合同展示(産経新聞)

<内容>

中国歴代皇帝の文物や芸術品などを所蔵する北京と台北の2つの故宮博物院が、中台分断後初めての共同展を10月7日から台北で開催することが決定した。

中国各メディアが14日に伝えた。

今回の共同展は、昨年5月の馬英九政権誕生以後の両岸関係改善を象徴する一方、中華文化を台湾で強調し、文化面で中台一体を推し進めようとする中国側の思惑も見え隠れする。

清朝初期の皇帝「雍正帝展」と題される今回の共同展には、雍正帝の書物、硯などのほか、当時の美術品、書道、絵画作品など計246組が展示され、そのうち37組が北京の故宮が提供したものだという。

台北の故宮で2010年1月10日まで開かれる。期間中に開かれる清朝文化などに関するシンポジウムには両岸の考古学者らが多数出席する。

1925年に創設された故宮博物院は、明、清の皇帝の宮殿だった紫禁城の中にあり、もともとひとつしかなかったが、国民党と共産党の内戦で劣勢となった国民党の蒋介石政府は48年末から49年にかけて、故宮の中から約3000箱の文物を船などで台湾に運び、台北市内にもうひとつの故宮博物院を建設した。

戦乱の中で、莫大なコストをかけて大量の文物を台湾に運んだのは、中国の歴代の皇帝の収蔵品を押さえることで、中華民国政府の正統性を示したい蒋氏の政治的な思惑があったと指摘される。

現在、北京の故宮には150万点の所蔵品があるのに対し、台北は65万点しかないが、晋の書家、王義之の「快雪時春帖」など多くの国宝級の文化財が台北の故宮に収蔵されており、2つの故宮はいずれも外国の観光客の間で高い人気を誇っている。

2つの故宮の交流、共同展を開くことに関しては、中国側はずっと積極的だった。

中国紙、南方週末などによると、北京の故宮は、両岸の政治・経済関係が停滞していた88年から台湾側に、清の乾隆帝の文物を無料で貸し出し台湾で展示会を開きたいと打診していた。

文化を通じて両岸直接交流の突破口にしようと目論んだためだが、当時の李登輝政権から回答を得られなかったという。

その後、台湾で独立の機運が高まり、中国色を払拭したい一部の民進党の立法委員(国会議員)が90年5月に、「故宮の文物を中国に返す」ことを提案し、大きな話題となったこともある。

10月に訪台し共同展の開幕式にも出席する予定の北京故宮博物院の鄭欣●(森の木が「水」)院長は「今回の共同展は雍正帝時代の貴重文化財が再び一緒に集まるだけではなく、両岸の民衆が中華文化を広げるという共同の歴史使命を担っていることの証明でもある」との談話を発表、文化面で台湾を取り込みたいとの思惑をにじませた。

<感想>

“華史記”執筆者の斥奉です。

中国の国宝級の文化財が台湾に数多くある事実、そして歴史的な背景が一定の解決をみない限りは、これらの文化財が危機に晒されていると理解しなければならないのではないでしょうか。

両者のみならず、人類にとっても貴重な文化財だけに、今後の展開に注視したいです。

“華史記”へ。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年8月 8日 (土)

中国史最新情報(6)

登場17年、中国で愛され続ける酒井法子(Searchina)

<内容>

今週発生した2件の違法薬物所持事件、そしてそれに関連するタレント・酒井法子の失踪騒動が中国でも注目を集めた。

5日更新の中国大手検索サイト百度(Baidu)の「検索ワード急上昇ランキング」に、「酒井法子」「矢田亜希子」「押尾学」「高相佑一」がそれぞれ登場した。

容疑者とそれぞれの妻計4名の名前がすべてランクインを果たし、関連ニュースもメディアによって多数報じられているが、やはり中でも中国で圧倒的人気を誇る酒井法子に関するニュースやユーザーのコメントの多さは群を抜いている。

ニュース記事では、携帯電話の電波が山梨県内で途絶えたこと、日本国内でさまざまな憶測が生まれていること、彼女が中国をはじめとするアジア全土で愛されていたこと、かつて酒井とデュエット曲「有縁千里」を発表し、交友関係の有る香港の歌手、孫耀威(エリック・ソン)が安否を気遣っていることなどが報じられている。

百度の「酒井法子掲示板」には、行方不明の情報が流れた4日以降すでに500件に及ぶテーマがほぼ分単位で書き込まれ、その内容のほとんどは「無事を祈る」「進展はないのか」と酒井の安否を気遣うものであるほか、以前の画像や中国本土で流れた酒井出演のコマーシャルなどが多数貼り付けられるなどしているが、一部で「熊本県で発見された」といったようなニセの情報が流れたり、ファンや酒井を冒涜するようなコメントも書き込まれたりするなど、混乱している様子が伺える。

また、逮捕された夫の高相容疑者に対する罵詈雑言も多数見られた。

酒井は1992年に台湾で日本人初となるワンマンショーを行い、1993年には台湾ドラマ「我愛美人魚」で主役を演じるなど中華圏に進出、ヒット曲「夢冒険」の中国語版など中国語曲を積極的に行った。

さらに93~97年出演した日本のドラマ「ひとつ屋根の下」「星の金貨」が中華圏でも大ヒットして人気がさらに加速した。

98年に香港で3日間のコンサートを行った後、活動を休止していたが、2007年には「日中文化・スポーツ交流年」の日本側の親善大使としてレセプションに参加したほか、人民大会堂でコンサートも行っている。

当時の若者層を中心に、登場から約20年が経過してもなお現在でも根強い人気がある。

<感想>

“華史記”執筆者の斥奉です。

この内容を取り上げることは少し視点から反れていると思われるかもしれませんが、酒井法子さんと中国の関係が意外と正確に伝わっていない感じがしたので、あえて取り上げてみました。

個人的に、中国のCD売場で酒井法子さんの商品を見かけたことがあり、その人気を実感していました。

それだけに、両国で変な誤解ばかりが先行してしまうのは残念です。

今は、真実が語られるのを見守りたいです。

“華史記”へ。

| | コメント (0) | トラックバック (3)

2009年7月26日 (日)

中国史最新情報(5)

発展の為に胡同や文化保存は不要?(Searchina)

<内容>

2009年7月22日付新京報によれば、北京の四合院、胡同など伝統的建設物が次々に解体されていることに関する危惧が高まっていると伝えた。

経済発展に伴う大規模開発の流れで多くの北京の胡同が解体されてきた。

2005年には「北京市城市総体計画」が制定され、旧市内の効能を保存し、経済発展を目標とした偏りのある開発を防止することとしており、以前ほどの大量解体はなくなってきているが、それでも文化保護地区と指定されていない場所では胡同の解体が続いているのが現状である。

北京古都風貌保護と危険建築に関する専門チームは、「文化保護に指定されていなければ解体開発してもいい」というのは大きな間違いであると警告している。

これを受け、中国大手サイト新浪網では「著名人の旧家等文化保護指定を受けていない四合院も保護すべきか?」とのタイトルでインターネットアンケートが実施されている。

09年7月23日現地時間15:00現在、投票数は1547票。

80.5%が「保護すべき」と答え、14.6%は「保護の必要なし。

故宮等重要な建築物だけで充分」との結果となり、保護すべき派が圧倒的であった。

また、「無関心」は4.9%であった。

賛成派からは「普通の胡同こそが文化を伝えるものであり、保護の対象となるべき」、「お金のために手当たり次第に解体するのは良くない」、「数年後、発展が一段落し、人々が昔の伝統に目を向けたとき初めて後悔することになるだろう」との意見があり、反対派からは「近代化、発展のためには解体が必須である」、「昔の建物など、発展に邪魔なだけだ」、「北京の土地が値上がりを続け住宅不足が深刻である。

解体してマンションでも建設するべきだ」との意見が見られた。

<感想>

“華史記”執筆者の斥奉です。

この内容には複雑な思いです。

残す残さないという判断には一長一短があると思いますが、もっと根本的なところで最適な判断をして欲しいと、ただ願うばかりです。

"華史記"へ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月18日 (土)

中国史最新情報(4)

馬俑坑で「漢紫」の陶俑発見? 定説より200年早い?(Searchina)

<内容>

世界遺産にも指定されている中国陝西省の兵馬俑坑で進められている1号坑の発掘で、上絵を施した陶俑が発見され、物議をかもしている。

報道によれば、これらの陶俑には顔料として「漢紫」(Han purple。BaCuSi2O6)と呼ばれるものが使用されている。

この存在が知られたのが20世紀80年代で、1992年には漢代(前206年-後220年)の遺跡から発掘された器物が発見され、正式に「漢紫」(Han purple)との呼称が生まれた。

一部に兵馬俑坑と同年代の秦代(前221年-前206年)の器物からも発見されているといわれるが、一般的に使われるようになったのは漢代の中盤から後半以降とされており、今回、兵馬俑坑で見つかった陶俑で漢紫が使われていたとなれば、定説より200年ほど早く使用されていたことになる。

ただし、今回発見された陶俑の漢紫が人工的に着色されたものなのか、あるいは自然発生的に付着したものなのかは現在不明で、調査中だという。

<感想>

“華史記”執筆者の斥奉です。

こういう(紀元前における)発見こそ幅広い分野に多大な影響を与えるはずですから、やはり兵馬俑坑における発掘は貴重だと思います。

引き続き展開を見守りたいです。

"華史記"へ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月25日 (木)

中国史最新情報(3)

北京原人遺跡で72年ぶりに発掘再開(Record China)

<内容>

2009年6月24日、北京原人の遺骨などの発掘現場で、世界文化遺産にも登録されている北京市房山区の周口店遺跡の発掘が72年ぶりに再開された。

今回の発掘の最大の目的は、風化などによって遺跡が崩れる危険性が高まったため、これを補修することにある。

新華社通信(電子版)が伝えた。

発掘チームのリーダー、中国科学院古脊椎動物・古人類研究所の高星(ガオ・シン)副所長は24日の記者会見で、今回の発掘について、「発掘の場所は遺跡第1地点の西側部分で、周口店遺跡の『心臓』に当たる部分」と語り、「遺跡として地層が完璧に保存されており、学術的に最も価値が高く、科学的なデータの最も豊富な場所である」と紹介した。

同遺跡では1929年に北京原人の頭蓋骨が発見され、世界的な注目を集めた。

今回72年ぶりに発掘が再開されるに至った理由について、高副所長は「西側部分の上部に亀裂が生じ、さらにその下の部分に空洞ができており、いつ崩れてもおかしくないような危険な状態にあるため、これを保護・修復する事が最大の目的」と説明し、「新たな発見のための発掘ではないものの、重要な発見の可能性を排除したわけではない」と話した。

発掘作業スケジュールでは、6月下旬から7月下旬に亀裂部分の修復を完了し、8~10月にかけて西側部分全体の修復とサンプルの収集などを行う予定になっている。

<感想>

“華史記”執筆者の斥奉です。

修復が中心ということですが、新たな発見を期待せずにはいられません。

ですが、東アジア圏における根幹に通じることなだけに、まずは確実な修復がなされることを望むべきだと思います。

“華史記”へ。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年6月22日 (月)

中国史最新情報(2)

迫る危機、修復で失われる歴史の真実(サーチナ)

<内容>

2009年6月19日、解放日報は中国長城学会・董耀会(ドン・ヤオフイ)常務副会長のインタビューを掲載した。

世界遺産でもあり中国を代表する遺跡でもある万里の長城が今、深刻な危機に直面しているという。

1985年、当時28歳の配電線工だった董副会長は508日間をかけ、万里の長城全てを走破するという偉業を成し遂げた人物。

万里の長城について深い知識を持っており、その保護に心血を注いでいる。

しかし現状はきわめて深刻だという。

董副会長は2002年8月、河北省張家口市の狼窩口長城を視察したエピソードを紹介している。

現地を訪れた視察団はあっけにとられた。

なんと1000メートル以上もあった遺跡がきれいさっぱり消失しているではないか。

話を聞くと、付近で道路の建設が行われた時、現地住民が長城を壊してその石を売り飛ばしたのだとか。

値段はトラック1杯でわずか15元(約210円)という安さだった。こうした例はいくつもあるという。

もちろん保護、修復しようとする動きもある。

しかしそういった前向きの取り組みにも多くの問題があるという。

河北省の白羊峪長城。

きれいに修復された壁がそびえるなか、一部に薄い灰色が見える。

実はそれこそが数少ない遺跡の現存部分だという。

残念なことに修復工事の際に現存部分の一部が撤去されるという本末転倒なことが起きた。

山東省のある地域には春秋戦国時代に作られた石造りの長城が残されていた。

2000年以上の歴史を誇る貴重なものだ。

しかし現地では観光客が入れないという理由から、万里の長城の最も有名な観光地・八達嶺を参考に作り直された。

こうした状況に董副会長は心を痛めている。

董副会長は風化し壊れた長城の美を受け入れるべきだと話し、「歴史の真実に従わない、『歴史の再現』という原則を踏み外した修復は、むしろ破壊にほかならない」と話している。

<感想>

“華史記”執筆者の斥奉です。

「多様な影響を受けるのが本来の有様なのかもしれない…」

ふとそんなことを思ってしまいがちですが、肝心なのは真実だということだけは忘れてはいけないのではないでしょうか。

もしかしたら、観光目的の修復というのも未来では1つの歴史として受け入れられるのかもしれませんが…

“華史記”へ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月20日 (土)

中国史最新情報(1)

兵馬俑の発掘作業再開、最大規模の遺跡で24年ぶり(読売新聞)

<内容>

中国西部・陝西省西安郊外にある秦始皇帝の兵馬俑(へいばよう)の遺跡で、最大規模となる1号坑の発掘作業が再開された。

当時の彩色が残る埋蔵物の発掘など新発見も期待されている。

地元の秦始皇兵馬俑博物館の研究チームは今月13日に作業に着手した。

世界遺産に登録されている同遺跡は、紀元前3世紀に中国史上初の統一国家を樹立した始皇帝の陵墓付近にあり、ほぼ等身大の兵士や馬の俑(副葬品の人形)が埋められている。

総面積1万4260平方メートルで6000体の兵馬俑があるとされる同坑での発掘作業は、1985年に中断されて以来となる。

今回は5年計画で2000平方メートルを発掘する。

同博物館は作業の様子を一般公開している。

新華社電によると、研究チームの関係者は「遺跡の保存状況は予想よりも良い。今後の作業も順調に進むだろう」と話し、新たな発見に自信を見せている。

<感想>

“華史記”執筆者の斥奉です。

資金や環境など、色々な問題を抱えている兵馬俑ですが、新たな発見に向けての一歩に大きな期待を寄せている人は多いのではないでしょうか。

私も一度だけ兵馬俑を目の当たりにしたことがあるのですが、中国史の体感できる一級の文化財だけに、何よりも発掘作業には慎重を期して欲しいです。

“華史記”へ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)